年収250万の私が借金200万を背負った経緯。
今回は「借金」がテーマの記事です。
なぜ、不安障害・抑うつ障害を抱えた私が、こんなに借金を背負うことになったのか…
それには、ストレスとお金の深い関係があったんです。
不安障害になる前の私
私は30歳前にして、借金200万を背負っていました。(現在、任意整理和解済み)
職業は中小会社の事務員、一般職。とりたてて特技もない、四大文学部卒の会社員でした。
入社当時の給与は17万円。手取りにして13万です。
当初、私は一人暮らしをしていたのですが、家賃、光熱費、食費でカツカツの生活。
とても贅沢は出来ず、趣味の旅行にも行けなくなり、夢だった一人暮らし生活を早々にギブアップし、実家に戻りました。(実家は、会社から一時間ほどの通勤時間で、通えなくもなかったのです)
実家暮らしなら貯金もできる! 旅行もできる! と夢見たのもつかの間、私は想像以上に、自分の不甲斐なさを知るのです…
借金を抱えたのは、自分のキャパ認識不足とストレスコントールが問題
私は一人暮らしのとき、ほぼ寄り道せずに帰宅していました。
しかし、実家暮らしになってから、ほぼ毎日寄り道して帰るようになりました。
というのも、実家暮らしといっても、同居してるのは父と祖父母、兄と叔父。みんな生活リズムがバラバラで、食事の用意はおろか会話することもほとんどありません。
仕事が終わって疲れているところに、30分かけて電車に乗り、さらに30分歩いて真っ暗な家に着く。。
誰とも話すことなく、そのまま寝て、それが一週間続く。。
この境遇が、私の中でストレスになっていたのだと、今は思い返しています。
毎日、朝、昼、夜と外食し、時には一人飲みをし…
私は生きているだけで、日々浪費をしていました。
気づけば、月に使えるお金はほぼなくなっていたのです。
家にも職場にも居場所がないことが、不安障害を加速させた
さらに私に借金をさせた原因が、パチンコであることは間違いありません。
かつて、私にとってパチンコは、家族や職場と繋がる手段でした。
新台はどうだ、あの演出はどうだ、ということで盛り上がり、上司や父、兄と話すキッカケになっていたのです。
しかし、転職し、どう頑張ってもコミュニケーションが取れない上司のもとで働き…
実家に戻っても誰と会話をすることもなくなり…
私は逃げるように、パチンコ屋に居場所を求めました。
その結果、パチンコへの抑制がなくなりました。
今だけと銀行のカードローンにお金を借り、限度額がくれば月の支払いをリボにして、無理やりお金を作りました。
そして、2年程度の生活で200万の借金を負ったのです。
笑えるぐらい綺麗な転落ぶりですよねw
メンタルヘルスはお金にも関わってくる
今、私は債務整理をして、月3万返済をしています。
しかし、傷病手当金だけでは、これだけでも大きな出費です。なにせ、傷病手当金は元の給与の3分の2しかもらえないのですから。
もし、過去の自分に言えることがあるなら…
辛いことは、辛いと言え。寂しいときは、寂しいといえ。
人に頼れ。強がるな。
この一言に尽きます。
今、私は休職して、たくさんの人の助けのもと生活しています。
逆に言えば、この環境になるまで、人に頼れませんでした。
むしろ、自分が辛いことも、自覚してませんでした。
「自分のことは、自分で全てなんとかする」がリッパな大人なのではなく、
「自分の身体のこと、メンタルのことを知った上で、人に頼る」が、本当の大人なのだと、こんな境遇になってはじめて思い知りました。
長々と自分語りをしてしまいましたが……
浪費をしてしまう人、過食をしてしまう人、あるいは、毎日何かしなければ一日に刺激がなく退屈だという人。
それは貴方のメンタルがすり減って弱っている証です。
早いうちに、友人・家族に相談してみてください。
それでは、また明日。